ホームページ
カテゴリ
以前の記事
2016年 11月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 07月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 01月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2007年 07月 08日
≪アマゾンで見る≫
岡山県の山間部、岡山県の倉敷と鳥取県は米子を結ぶJR伯備線に、JR唯一の人名駅『方谷』(ほうこく)があります。 人名がついている位なので、この地に非常にゆかりがあります。 この辺りを備中(びっちゅう)といいます。 山田方谷(やまだほうこく)、幕末は1805年に備中松山藩に生まれています。 大政奉還は1867年、ちなみに大政奉還の奏上文原案は山田方谷の手になると言われています。最後の老中板倉勝静が最も信頼した人です。 山田方谷、誰?という方も多いのではないでしょうか。 上杉鷹山 と言えば、現在の山形県は米沢藩でリストラを行った人ということを憶えている方もいると思います。 内村鑑三の「代表的日本人」の一人でもあります。童門冬二の『小説 上杉鷹山』を読んでいる方もいらっしゃるかもしれません。 幕末に、上杉鷹山の何倍もの改革を成功した人が、この山田方谷です。 もしもこの人が閣僚だったら、という「シャドーキャビネット」は明治でも行われていたようです。 明治維新政府のシャドー大蔵大臣は「山田方谷」ということで、再三の呼びかけにもかかわらず、任官は固辞したということです。 さて、今日ご紹介する本 「炎の陽明学 -山田方谷伝-」は、率直なところ全国区では有名ではない山田方谷について、その事績が非常に良く判る伝記です。 著者は矢吹邦彦。 実は、この人の先祖のの矢吹久次郎が、山田方谷と非常に深い関係があり、当時の手紙が多く残っているそうです。伝記も代々伝えられた手紙がきっかけとか。 さて、山田方谷その人ですが、意志の人、行動の人、厳格な人。でも一番は「誠の人」かもしれません。 藩政改革者としての山田方谷の業績を一言にすると、 十万両の借財に苦しむ備中松山藩の財政をわずか八年で十万両の蓄財 としたことです。 上杉鷹山の改革は、鷹山没後何年かして借金を返済したとのこと、それと比べたら蓄財までできたところにすごみを感じます。 十万両と言うと、ぴんときませんね。 少し計算してみました。江戸時代の1両が現在のいくらかというのは、実は金貨、銀貨、銭貨の3種類の相場があったので、厳密なものは判らないということです。 文化・文政年間(1800年頃)の下女の年間給金は2.5両ということです。1日は50文、1両は7000文程度。そして、かけそばは16文だったとか。かけそばを基準にしてみましょう。現在のかけそばを1杯500円として計算すると、1両はおおよそ22万円 10万両は、なんと、220億円です。 (ざっくりとした計算です、、、) 220億円を4年(くらい)で返済し、4年で貯蓄を220億、、、、となります。 備中松山藩は5万石、廃藩置県で高梁県(たかはし)となって、現在は高梁市ということです。 現在の高梁市と同じ大きさかは調べきっておりませんが、547平方キロ、人口4万人とのこと。 ちなみに、破綻した市町村で、名の上がっている夕張市は、破綻時に赤字が360億だったということです。 同程度の広さの都市は、出雲市(543平方キロ)、鹿児島市(547平方キロ)、米沢市(547平方キロ)、すこし離れて東京23区(621平方キロ)、バーレーン(国土 665平方キロ、ペルシア湾の島国) ちなみに、破綻した市町村で、名の上がっている夕張市(763平方キロ、人口1万3千人,2007年現在)は、破綻時に赤字が360億だったということです。 さて、山田方谷は、一地方市で破綻しても良い財政を8年で同じ金額の蓄財をしたということです。 理財家の一面がクローズアップされますが、この伝記で読み取れるのは、「良く考える。誠の道を考えて実行する。」こういった姿です。 この本の表題になっている「陽明学」は山田方谷が学んだ学問です。 中国は儒教の系譜であり、同じ幕末期の二宮金次郎とも繋がってます。(二宮金次郎の銅像で気になる本は実は「大学」です。四書五経ですね。) 幕末の裏面史が判る書とも、山田方谷を愛する関係者の手となる愛情溢れる伝記とも読めます。 途中、昔の手紙の抜粋、そして漢詩が出てきます。 歴史書に触れている方の方が読みやすいかもしれません。 でも、非常にお勧めです。 一読と言うより、二読、三読に値します。 ------------ いろいろな本の紹介は ≪こちらのページ!!≫
by tomoharu_hikoda
| 2007-07-08 17:59
| 本
|
ファン申請 |
||