コミュニケーション、ファシリテーションには「対話」が必要です。
会議等の組織活動でも日々「対話」は行われています。
対話の重要性は叫ばれていますが、いつ頃から注目されていたでしょうか。
一つの目安は、ソクラテスの産婆術に見いだすことができます。
紀元前5世紀の哲学者ソクラテスは、著作を残しませんでした。
弟子のプラトンやその他の人が著作を残すことで、ソクラテスの事績をたどることができます。
ソクラテスの対話は「反駁的対話」(エレンコス)と呼ばれています。
同時期のソフィストの論争術(エリスチケー)と同じようにも見られており、当時の社会に影響が多大であるということで毒杯による刑死という結末を迎えました。
当時の人々は、ソクラテスと対話することで「シビレエイ(毒エイ)」に出会ったかのごとく思考が麻痺したとも伝えられています。
反駁的対話で得られるモノは何だったのでしょう。それは「真実」であったとされています。
さて、問題の「真実・真相・真の理由」が対話の中で見つかるのであれば、これに対応することはたやすくなります。
真実を見つけ出すのが、ソフィストの主張を戦わせる「論争」ではなく「対話」であったのは一つの象徴であると思えます。
但し、日常生活の対話がすべて「反駁的対話」では成り立たないような気はしています。
という、哲学的なところにまで「対話」や「質問」の有効性・効果を探るチャレンジを続けます。